掛け時計専門店|掛け時計ワールドのブログ

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リズム時計(シチズン)の始まり(その1)

   

セイコーに並ぶ日本の2大時計メーカーの雄「シチズン」
掛け時計や置き時計の世界ではシチズンではなく、リズム時計の名前で製品を世に送り出しています。
このリズム時計の基を作ったのは、明治時代キリスト教社会運動家として活躍した賀川豊彦(かがわ とよひこ)。
その会社の名前は「農村時計製作所」

ドイツ時計産業の基となるカッコー(鳩)時計が、冬場の雪深い山間部の農民たちの内職として生み出され、彼らに背負われてヨーロッパ各地に広まっていったこととを思うと、感慨一入です。

1920年代初頭、日本農民組合を大阪で結成した彼は、その後も地主の支配下にあった農民の団結と社会的自覚を促し、自立を目指すため学校を設立したり、農業改革を推進しました。
その一環として1946年、埼玉県桜井村に「時計技術講習所」を創設。
農協などの後押しを受けた19万坪の工場敷地には、なんと2万坪の建屋と2000台の工作機械を設置。
目標は大きく、従業員1500人の雇用と、月産3万個の目覚まし時計製造。
苦闘の末、約半年たって記念すべき製品の第1号、直径9cmの目覚まし10個が完成したものの、素人の悲しさ、価格が高すぎて売れません。
それではと、時計以外のバリカンや電気のスイッチなどに手を出しましたが、こちらも失敗。多額の赤字を出しスポンサーも撤退した農村時計製作所は風前のともし火。
その火中の栗を拾ったのが谷碧(たに・きよし=後のリズム時計社長)でした。
1950年頃のことでした。

1949年発刊の雑誌『時計(現在は廃刊)』の表紙には倒産直前の農村時計の目覚まし時計「Rhythm(リズム)!」が載っている。
「表紙写真は目覚し時計Rhythmを示す。Rhythmは日本業界最高級品として内地は勿論、世界各地—特に印度パキスタン、シンガポール、メキシコ、バンコック等から註文があり毎月15,000個の輸出を目標に生産を進めている」

考えてみれば、精密機械工業である時計産業は日本人の緻密な気質や手先の器用さが求められ、輸送という観点からは小さくても高額な製品は、当時の主要マーケットであった欧米からは「ファー・イースト(遠い東の果て)」と呼ばれる日本の立地の弱点を補うにはうってつけ。

まさに、日本人の日本人による日本のための産業にぴったりでした。

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